2013年04月25日
アトピーからの脱出・・・
ttp://pbc-4649.cocolog-nifty.com/blog/2006/07/post_a809.html (元記事より)
みなさんは、ステロイドという薬の副作用を知っていますか?
医学的にどうしても、使わないといけないという場合もありますが。
もし、耐えれるなら、使わないほうが絶対にいいですよ!
というのも、僕自身も軽い湿疹で皮膚科にいって、はじめは、かゆみ止め程度のつもりで、薬をもらっていたのですが(オイラックス)長袖のパジャマなどを着ていると、ベタつくのが嫌で、サラっとしたこっちのゼリー状にしようということになって、薬をベタベタのクリーム状からゼリー状にかえたのです。
そうです、その薬がまさにステロイドだったのです。
かゆみも当然のようにおさまり、また服をきてもベタつかずかなり満足していました。
しかし、次第に薬をつける頻度が短くなっていき、気がついた頃には、ほぼ毎日風呂上がりにつけるようになっていました。
薬がなくなると、湿疹の場所は、赤くただれてきて、悪化しました、そして、薬をつけ続けて、2年ほどたった頃にそのゼリー状の薬がステロイドという薬だということを知りました。
ステロイドは、つけているうちは、症状もおさまりますが、切れてくると、麻薬のように、どんどん強い薬じゃないときかなくなり、つける頻度もどんどん高くなってきます。
このままずっとステロイドをつけ続けていても、一生薬漬けの生活をしないといけないとおもい脱ステをすることを決意しました。ステロイドをつけないと治らないとも言われました・・
これからが、また苦痛のはじまりで・・・かなり荒れた状態が続きました。
当然湿疹の部分には、薬をつけないので、赤くなり、そして、とてつもなくかゆくなり、そして我慢できずに、かきむしると浸出液と血がでてきました。(リバウンド)かゆさで何をしていても、手につかずイライラしていました。夏には、半袖になるのが嫌になり、長袖をきてました。
冬は、肌触りの悪い服をきるとまたかゆくなりました。。。
そして、かいたらいけない!とわかっていても、寝てるうちに無意識のうちにかいていたので、かいてもひどくならない程度に、爪はいつも常に深爪にしていました。
こんな事をしていて、本当に治るのか?とかもおもいました。
正直な話ステロイドをまたつけたい衝動にもかられました。
そんなとき、ライディック研究所が開発したドクターシナジーという個人パターンの情報を入れた水とこれから開発されるアトピーローション&アトピークリーム(現在のATローション、ATクリーム)のモニターをすることになりました。もちろん生活水もメトリック水でという事で全館タイプをつけました。
とりあえず、アトピーは、乾燥させない事が大事なので、ローションとクリームを風呂上がりにいつもつけて保湿していました。
しかし、これでも、なかなか症状がおさまらず、イライラした日々もありました。
アトピーの人はわかるとおもいますが、我慢していても、かいてしまう時があるんですが、そのときは、本当にイライラもし、気持ち的に落ちたりもしました。
どうしてドクターシナジーを飲むか?という事ですが、それはイライラした神経を癒し、常に平常心を保っていられるということと、自分力をアップさせて、ストレスにうち勝つという事だそうです。
次に水ですが、特に毎日入る風呂が肌に影響を与えるとかで、生き物に一番よく合った信号で、(サイモス60)体内水を整えるために、毎日2㍑以上の水を飲むということも、肌のためには、大事な事だそうです。
これらのことは、正直はじめは、半信半疑で全く信用してませんでした、このブログをみた人もたぶんそうおもうとおもいます。
治ってほしい!!という気持ちでその通り試していました。ときには、なかなか改善が進まず家族に当たり散らしたこともありました。
モニターをはじめて、3ヶ月ほど経過したころ、改善の症状がみえはじめました。
かいても、あまり血も浸出液もでることなく、普通の肌のようになってきたのです!!ヾ(´∀`)ノ
悪化してた頃の写真と見比べてください!これくらい違いがあります。
自分の肌が前こんな状態だとおもうと、おぞましいです∑(゚Д゚;)
人の肌は、環境でこんなにもかわるものなんですね!
上の写真はひじです。
みなさんは、ステロイドという薬の副作用を知っていますか?
医学的にどうしても、使わないといけないという場合もありますが。
もし、耐えれるなら、使わないほうが絶対にいいですよ!
というのも、僕自身も軽い湿疹で皮膚科にいって、はじめは、かゆみ止め程度のつもりで、薬をもらっていたのですが(オイラックス)長袖のパジャマなどを着ていると、ベタつくのが嫌で、サラっとしたこっちのゼリー状にしようということになって、薬をベタベタのクリーム状からゼリー状にかえたのです。
そうです、その薬がまさにステロイドだったのです。
かゆみも当然のようにおさまり、また服をきてもベタつかずかなり満足していました。
しかし、次第に薬をつける頻度が短くなっていき、気がついた頃には、ほぼ毎日風呂上がりにつけるようになっていました。
薬がなくなると、湿疹の場所は、赤くただれてきて、悪化しました、そして、薬をつけ続けて、2年ほどたった頃にそのゼリー状の薬がステロイドという薬だということを知りました。
ステロイドは、つけているうちは、症状もおさまりますが、切れてくると、麻薬のように、どんどん強い薬じゃないときかなくなり、つける頻度もどんどん高くなってきます。
このままずっとステロイドをつけ続けていても、一生薬漬けの生活をしないといけないとおもい脱ステをすることを決意しました。ステロイドをつけないと治らないとも言われました・・
これからが、また苦痛のはじまりで・・・かなり荒れた状態が続きました。
当然湿疹の部分には、薬をつけないので、赤くなり、そして、とてつもなくかゆくなり、そして我慢できずに、かきむしると浸出液と血がでてきました。(リバウンド)かゆさで何をしていても、手につかずイライラしていました。夏には、半袖になるのが嫌になり、長袖をきてました。
冬は、肌触りの悪い服をきるとまたかゆくなりました。。。
そして、かいたらいけない!とわかっていても、寝てるうちに無意識のうちにかいていたので、かいてもひどくならない程度に、爪はいつも常に深爪にしていました。
こんな事をしていて、本当に治るのか?とかもおもいました。
正直な話ステロイドをまたつけたい衝動にもかられました。
そんなとき、ライディック研究所が開発したドクターシナジーという個人パターンの情報を入れた水とこれから開発されるアトピーローション&アトピークリーム(現在のATローション、ATクリーム)のモニターをすることになりました。もちろん生活水もメトリック水でという事で全館タイプをつけました。
とりあえず、アトピーは、乾燥させない事が大事なので、ローションとクリームを風呂上がりにいつもつけて保湿していました。
しかし、これでも、なかなか症状がおさまらず、イライラした日々もありました。
アトピーの人はわかるとおもいますが、我慢していても、かいてしまう時があるんですが、そのときは、本当にイライラもし、気持ち的に落ちたりもしました。
どうしてドクターシナジーを飲むか?という事ですが、それはイライラした神経を癒し、常に平常心を保っていられるということと、自分力をアップさせて、ストレスにうち勝つという事だそうです。
次に水ですが、特に毎日入る風呂が肌に影響を与えるとかで、生き物に一番よく合った信号で、(サイモス60)体内水を整えるために、毎日2㍑以上の水を飲むということも、肌のためには、大事な事だそうです。
これらのことは、正直はじめは、半信半疑で全く信用してませんでした、このブログをみた人もたぶんそうおもうとおもいます。
治ってほしい!!という気持ちでその通り試していました。ときには、なかなか改善が進まず家族に当たり散らしたこともありました。
モニターをはじめて、3ヶ月ほど経過したころ、改善の症状がみえはじめました。
かいても、あまり血も浸出液もでることなく、普通の肌のようになってきたのです!!ヾ(´∀`)ノ
悪化してた頃の写真と見比べてください!これくらい違いがあります。
自分の肌が前こんな状態だとおもうと、おぞましいです∑(゚Д゚;)
人の肌は、環境でこんなにもかわるものなんですね!
上の写真はひじです。
Posted by 梓ママ at
14:53
│Comments(0)
2013年04月21日
母は幸せだった…
続き、書くのが遅くなりました。
あちこちお花見や、デイサービスのお友達と遊んだり
家でゆっくり過ごした後、
9月頃に また、容態が悪くなり、入院する事になりました。
入院中、私は、口内炎や
喉の渇きで苦しまないよう
常に、脱脂綿で作った大きな綿棒で 口の中を湿らせてあげていました。
口からは、水を飲む事が
できなくなっていたので、少しずつ歯に当てて脱脂綿を絞るようにして水分を
取らせていました。
少しでも、母の脳が正常に戻る事を願いながら、母の眉間(第3の目)に当たるところにサイモスプレートを
照射するような形で離して当てていました。
多臓器不全で、オシッコが出なくなると苦しいだろうと思い、母の股の間にも
プレートを当てていました。
看護師さんが、オムツを替えにきて、
「あら♪ お母さん、優秀!! ちゃんとオシッコ出てる!」と誉めてくれました。
母は、時々、痰で喉を詰まらせ、苦しそうにしていましたが、吸いだしてあげると 後は、痛みもなさそうで、看ている私達も辛くなかったのは、幸いでした。
私は、プレートを母の周りに何枚も置いて身体を温めていました。
10月2日、夜
母は、家族や孫、全員に
声を掛けて、手を握ってもらい、身体を擦ってもらいながら、静かに息を引き取りました。
病院から連れ帰った母の顔は、まだ眠っているかのようでした。
ドクターシナジーで死に水を取った人は、まだ血色もよく、唇もピンク色です。
シナジーで、肌ストレスを取り、生きている人と同じように、化粧水、クリーム、ファンデーション、フェースパウダー チーク
口紅を付け、旅仕度をしてあげました。
生前、センスもよくお洒落だったから綺麗にしてあげたかったのです。
母は、まるで眠ってるように、あまりに綺麗だったので、友達にも
顔を見て!!
とお願いした程です!!
もはや、認知症の人ではなく、一番綺麗な顔でした!
女性は、最後の顔も綺麗でいたいもの…
それを叶えてあげられるドクターシナジーは、素晴らしい!!
と思っています。
入院中も 母の口から出た言葉は、感謝でした!
旅立つ前は、もう認知症では、なくなったのか?
と思うような母の顔を取り戻していました!
余命を宣告された後も、人生を楽しみ、綺麗な顔で旅立てたのも、私は、サイモスを使えたおかげだと思っています。
だから、多くの苦しんでいる人にも お伝えしたいと思っています。
嘘のような話?、いいえ、
嘘偽りのない話です。
Posted by 梓ママ at
23:38
│Comments(0)
2013年04月16日
退院
従業員や近所の人への心遣いも忘れず、皆に
ママ、ママ、と慕われていた母。
そんな自慢の母が よりによって、認知症なんて…
そんなお母さんは、見たくない! 認めたくない!!
悪夢なら覚めて欲しい!!
人にこんな母を見られるのは嫌!!
優しくニコニコ笑っている母に対して、マイナスの感情が吹き出し、溢れました!!
私なら、認知症になったら生きていたくない!
きっと、母もそうに違いない…
末期ガンは、救いだ!!
でも…
ガンの壮絶な苦しみだけは与えたくない!
色んな事を思いながらも、やっぱり、目の前の大切な人を救いたい!!
眠っている母の枕の下に
サイモスプレートをソッと置きました。
それから、父にもプレートを使ってくれるようお願いしましたが、
律儀な父は、看護師さんの邪魔になると、避けていました。
仕方がないので、私が行った時だけ、プレートを敷いていました。
ぐい飲みにドクターシナジーを原液で入れて飲ませ、プレートを敷いていると…
脳に反応があるのか?
母は、頭の下にしきりに手を入れてました。
気づいたのですが、
ドクターシナジーやプレートを使い始めて、血色悪く、いかにも病人みたいだった母が血色が甦り、肌も艶やかになって
何日も洗髪していなかった髪が、艶々になって、化粧もしていないのに…
私が大っ嫌いだったアルツハイマー型の顔つきが
品ある昔の母の顔に戻っていたのです!!
それからの母は、昔の記憶を話し出すようになりました。
驚いたのは、母が三歳の時、父親が戦争に行った時の記憶…
三歳の母が私に話しました!
「お父さんね…戦争に行った時、みんながバンザイしてて、抱っこして貰いたかったけど…みんないるから恥ずかしくてできなかった…」って
幼子は、決別の時の情景をマザマザと覚えていたのです!!
母の父は、若くして戦死したと聴きました。
それから…
私も、きっと母を元気に退院させてみせる!!
と、持てるだけのプレートを病室に運び込み、ドクターシナジーで口の中を拭いたり、食事に振り掛けたり、顔を拭いてあげたり…
勿論、飲めるだけ飲ませました!
病院も、もう助からない人には寛容でした!
足を冷やさないよう、サイモス靴下もゴムの緩いものをずっと履かせ、アスファ毛布も邪魔にならないようにハーフのを持ち込みました!
オシッコがよく出るようになり、入浴や洗髪も許され、看護師さん達も「お母さん、元気になって良かったね〜」と言ってくれました。
歩行器補助で歩けるようになり、2ヶ月程の入院で
桜が綺麗に咲く頃、車椅子でもいいから、お花見連れて行ってあげたい…
と思っていましたが、自分の力で歩けるようになり、ちょうど、百花繚乱の一番良い時期に、退院となりました!!
まだ癌は持ちながらですが、あちこちお花見や父との楽しいドライブ♪
毎日、忙しく働いていた母には、楽しいデートだったようです q(^-^q)
認知症もマシになり、デイサービスにも通っていた母は、そこで仲良しのお友達を作りました。
私が実家に見舞うと、ベッドに寝ながら、あの萌え出流るツツジを綺麗…
と眺めていました。
穏やかで幸せな日々が続きました…
認知症は、ありましたが、以前の母とは違っていました。
毎月、ドクターシナジーは2本、届けていたので
私も安心して父に任せていました。
弟も心配してアロエとか、持って来てました。
まあ、元気だから、相乗効果でいいかな?
と私も黙っていました。
半年位、母は、病気じゃなかったかのように人生を楽しみました。
続きます…
Posted by 梓ママ at
14:24
│Comments(0)
2013年04月16日
母の認知症
久しぶりのブログ更新です。
やっと、暖かい春が巡って来ましたね〜\(^o^)/
そして、百花繚乱の季節。
私の実家のつつじは、小ぶりですが、朱赤が萌え出流るように咲きます。
つつじを観ると母が末期ガンで実家養生していた事を思い出します。
四年前の冬に胆菅癌が、かなり進行した状態で見つかり、入院しましたが、主治医は、「かなり、厳しい…」としか言わず、
私達家族も怖くて、余命を聞く事が出来ませんでした。
直ぐに若い先生に担当が代わったので、私は、長く持たない事を悟りました。
でも…良かったのです。
最低限の治療で母が苦しまない方法で私が看てあげたら…と思っていましたから…
母は、認知症もあり、以前は、家業を切り盛りし料理も上手で、母がデザインした可愛い子供服や小物を縫って、孫達にお揃いでプレゼントしてくれたり
いつも綺麗で、60歳越えても、孫を迎えに行った時、「お子さん?と間違われ嬉しかった♪(*^.^*)」
新聞の記事を読んでは、「こんな事件があったから気を付けてね。」と
注意を促してくれたり…
不況で家業の子供服を止める事になり、
その遣り繰りで父も心労と疲労から肺癌で手術入院。
優しい母は、ずっと付ききりで介護。
少し、ゆっくり出来た頃に色んなストレスから認知症が始まっていたのです。
でも…
そんなことは信じたくない家族は、大丈夫と思い、
当人も隠す事が上手で、あまり周囲が気付かないうちに、病気は、どんどん進んで行きました。
もう、孫達も大きくなり、あまり実家に行かなくなり…
心臓の弱かった母は、カテーテル挿入の手術を受け、入院。
この頃から
「あれ? 入院ボケ?」と思うような事が起こり始め、
帰ってからも火を消し忘れる、かばんや財布の置場所を忘れる…
顕著なアルツハイマー型の状況が現れ始めました。
それでも…
感情は、以前のままなのでずっと一緒に暮らしていない私達は、「お母さん、年で、ちょっとボケたかな?」位にしか感じてなかったのです。
この頃から認知症を遅らす薬を飲み始めましたが、症状は、癌発覚、入院生活と共に、一気に進んでしまいました!!
動揺を唄ってあげると喜びもう、私の事を娘だと判っているのか?
病室に行くと、凄く喜んでくれて、大好きな人ではあるみたいだけど…
もう別人みたいになってしまった母とは会いたくない…
私の母とは認めたくない…いつも 母のせいではないのに、母に対して怒っている私の心がありました。
ちょっと長くなったので続きは、次回…
Posted by 梓ママ at
11:21
│Comments(0)