2013年04月16日
退院
従業員や近所の人への心遣いも忘れず、皆に
ママ、ママ、と慕われていた母。
そんな自慢の母が よりによって、認知症なんて…
そんなお母さんは、見たくない! 認めたくない!!
悪夢なら覚めて欲しい!!
人にこんな母を見られるのは嫌!!
優しくニコニコ笑っている母に対して、マイナスの感情が吹き出し、溢れました!!
私なら、認知症になったら生きていたくない!
きっと、母もそうに違いない…
末期ガンは、救いだ!!
でも…
ガンの壮絶な苦しみだけは与えたくない!
色んな事を思いながらも、やっぱり、目の前の大切な人を救いたい!!
眠っている母の枕の下に
サイモスプレートをソッと置きました。
それから、父にもプレートを使ってくれるようお願いしましたが、
律儀な父は、看護師さんの邪魔になると、避けていました。
仕方がないので、私が行った時だけ、プレートを敷いていました。
ぐい飲みにドクターシナジーを原液で入れて飲ませ、プレートを敷いていると…
脳に反応があるのか?
母は、頭の下にしきりに手を入れてました。
気づいたのですが、
ドクターシナジーやプレートを使い始めて、血色悪く、いかにも病人みたいだった母が血色が甦り、肌も艶やかになって
何日も洗髪していなかった髪が、艶々になって、化粧もしていないのに…
私が大っ嫌いだったアルツハイマー型の顔つきが
品ある昔の母の顔に戻っていたのです!!
それからの母は、昔の記憶を話し出すようになりました。
驚いたのは、母が三歳の時、父親が戦争に行った時の記憶…
三歳の母が私に話しました!
「お父さんね…戦争に行った時、みんながバンザイしてて、抱っこして貰いたかったけど…みんないるから恥ずかしくてできなかった…」って
幼子は、決別の時の情景をマザマザと覚えていたのです!!
母の父は、若くして戦死したと聴きました。
それから…
私も、きっと母を元気に退院させてみせる!!
と、持てるだけのプレートを病室に運び込み、ドクターシナジーで口の中を拭いたり、食事に振り掛けたり、顔を拭いてあげたり…
勿論、飲めるだけ飲ませました!
病院も、もう助からない人には寛容でした!
足を冷やさないよう、サイモス靴下もゴムの緩いものをずっと履かせ、アスファ毛布も邪魔にならないようにハーフのを持ち込みました!
オシッコがよく出るようになり、入浴や洗髪も許され、看護師さん達も「お母さん、元気になって良かったね〜」と言ってくれました。
歩行器補助で歩けるようになり、2ヶ月程の入院で
桜が綺麗に咲く頃、車椅子でもいいから、お花見連れて行ってあげたい…
と思っていましたが、自分の力で歩けるようになり、ちょうど、百花繚乱の一番良い時期に、退院となりました!!
まだ癌は持ちながらですが、あちこちお花見や父との楽しいドライブ♪
毎日、忙しく働いていた母には、楽しいデートだったようです q(^-^q)
認知症もマシになり、デイサービスにも通っていた母は、そこで仲良しのお友達を作りました。
私が実家に見舞うと、ベッドに寝ながら、あの萌え出流るツツジを綺麗…
と眺めていました。
穏やかで幸せな日々が続きました…
認知症は、ありましたが、以前の母とは違っていました。
毎月、ドクターシナジーは2本、届けていたので
私も安心して父に任せていました。
弟も心配してアロエとか、持って来てました。
まあ、元気だから、相乗効果でいいかな?
と私も黙っていました。
半年位、母は、病気じゃなかったかのように人生を楽しみました。
続きます…
Posted by 梓ママ at
14:24
│Comments(0)
2013年04月16日
母の認知症
久しぶりのブログ更新です。
やっと、暖かい春が巡って来ましたね〜\(^o^)/
そして、百花繚乱の季節。
私の実家のつつじは、小ぶりですが、朱赤が萌え出流るように咲きます。
つつじを観ると母が末期ガンで実家養生していた事を思い出します。
四年前の冬に胆菅癌が、かなり進行した状態で見つかり、入院しましたが、主治医は、「かなり、厳しい…」としか言わず、
私達家族も怖くて、余命を聞く事が出来ませんでした。
直ぐに若い先生に担当が代わったので、私は、長く持たない事を悟りました。
でも…良かったのです。
最低限の治療で母が苦しまない方法で私が看てあげたら…と思っていましたから…
母は、認知症もあり、以前は、家業を切り盛りし料理も上手で、母がデザインした可愛い子供服や小物を縫って、孫達にお揃いでプレゼントしてくれたり
いつも綺麗で、60歳越えても、孫を迎えに行った時、「お子さん?と間違われ嬉しかった♪(*^.^*)」
新聞の記事を読んでは、「こんな事件があったから気を付けてね。」と
注意を促してくれたり…
不況で家業の子供服を止める事になり、
その遣り繰りで父も心労と疲労から肺癌で手術入院。
優しい母は、ずっと付ききりで介護。
少し、ゆっくり出来た頃に色んなストレスから認知症が始まっていたのです。
でも…
そんなことは信じたくない家族は、大丈夫と思い、
当人も隠す事が上手で、あまり周囲が気付かないうちに、病気は、どんどん進んで行きました。
もう、孫達も大きくなり、あまり実家に行かなくなり…
心臓の弱かった母は、カテーテル挿入の手術を受け、入院。
この頃から
「あれ? 入院ボケ?」と思うような事が起こり始め、
帰ってからも火を消し忘れる、かばんや財布の置場所を忘れる…
顕著なアルツハイマー型の状況が現れ始めました。
それでも…
感情は、以前のままなのでずっと一緒に暮らしていない私達は、「お母さん、年で、ちょっとボケたかな?」位にしか感じてなかったのです。
この頃から認知症を遅らす薬を飲み始めましたが、症状は、癌発覚、入院生活と共に、一気に進んでしまいました!!
動揺を唄ってあげると喜びもう、私の事を娘だと判っているのか?
病室に行くと、凄く喜んでくれて、大好きな人ではあるみたいだけど…
もう別人みたいになってしまった母とは会いたくない…
私の母とは認めたくない…いつも 母のせいではないのに、母に対して怒っている私の心がありました。
ちょっと長くなったので続きは、次回…
Posted by 梓ママ at
11:21
│Comments(0)